過去の山


 10月も終わり頃になると,横浜線の車窓から見える富士山の雪もはっきりしてきます。その頃は時間に余裕のある大学生で,往復の列車から見える丹沢連峰や相原辺りから見える富士山が楽しみの一つでした。夏の熱気がおさまり,肌にあたる風がひんやりしてくると,無性に恋しくなってきたものです。山に行きたい! 私は授業を休んで車中の人となることに,何のためらいもありませんでした。

 行き先は鳳凰三山。3000mは既に雪山だろうと思ったのでしょう,南アルプスの前衛を目指しました。雪を迎えに。

 自宅から甲府までは,中央本線ですぐ。特急なんてのに乗らなくても2時間もあればついてしまう。時に,大学の帰りに寝過ごして着いているときもある?!
 甲府からバスで夜叉神峠へ。平日なので乗っていた人は私一人くらいだったと思う。あいにくの曇天で,ひと登りで峠。展望の記憶がないので,恐らくは白根三山は雲の中だったのだろう。
 峠からはだらだらした登りを北上する。そんなにきつくないはずだのに,静かで苦しい登りだった。途中からは雨が降ってきたが,樹林帯で暑かったし弱い雨だったので濡れて登っていた。どのくらい登ったのだろう,ようやく南御室小屋に着いた。小屋は既に閉まっていた。小屋の前で放心状態で座っていた記憶が鮮明だ。気持ちを取り直してさらに登った。この登りから雨は雪に変わっていた。そう,私はこの雪を迎えに行ったんだった。でも,雪が私を迎えてくれた。

 あちこちの黒い岩や倒木に新雪が積もって辺りはモノトーン。私の足音だけの世界だった。食べれるさ。雪を食べることくらい誰でもやっている。でも,雪って美味しくないんだ。大気中の埃やゴミ粒子を核にしてできているんだからね。ほこりっぽいんだ。そうだったでしょう? 山の上の新雪もほこりっぽかった。いや,思いこみだったかも知れない。かなりの確率で,知識は誤謬を産むことがある。

 翌日は快晴だった。考えてくれたまえ,雪が降り積もった翌日の晴天。それはもう天国的な情景だ。

 西には白根三山。北には千丈,甲斐駒が雪をいただいて鎮座している。甲府盆地は雲海の下。一瞬の静。私はこの朝,ろくに食事もとらないで真っ先に小屋を発った。新雪の道を自分が初めて歩きたかったからだ。記憶にはないんだが,急いでいたことを考えると,登山者はいたんだろう。こんな平日に山に登る奴がいるのか?(人のことは言えない)

 振り返ると富士山が雲海の上に静かだった。

 この後,朝飯を食べずに出発した私は薬師岳の稜線で突然歩けなくなった。どうしても膝や腰に力が入らない。ヘナヘナとなったのだ。もちろんハンガーノック。腹に食べ物を詰め込んだら元気が出た。快調に眺望を味わいながら歩き,いよいよ下り。しかしここで再びアクシデント。昨日積もった雪が溶けて,道を濡らしていたのだ。問題は木道。みなさん濡れた木にはご用心,大股に歩いていた私は木道で足を滑らせて一回転。おそらくバク転をしたのであろうか,気がついたら木道の左側に落ちていた。全くケガがなかった。かすり傷一つ無かったのは私の反射神経の鋭い故か?(言わせておけ!)。その後は慎重に歩を進め,穴山駅まで歩いた(と思うが,途中の国道でバスに乗ったかな?)。

 そんな優雅で暇な学生時代があった。


 最初は丹沢から始まりましたが,南アルプスにも時々行きました。ここが目標だったからです。南アルプスの最初が赤石岳とは,素人は恐い。

 大学の巡検が高山であった帰りに名古屋で食料を調達し,飯田線に乗って駅に着いたのが夜中の12時。そこで仮眠を取って,翌日遠山川・大又沢を遡り,大又沢小屋に着いたのが昼下がりでした。途中歩いた軌道跡の道は今はもう廃道になっているんでしょうか。疲れすぎて,最後に沢を渡る吊り橋の上で友達と眠ってしまった。

 小屋では地元の中学生一行が宿泊していました。晩御飯に米と魚の缶詰を混ぜて,その辺から取ってきたオオバコの葉も入れて焚いたのを覚えています。あれは不味くはない!

旧友と赤石岳を登る憧れの聖岳

 翌日は急な道をあえぎながら登りました。後から追いかけてきた中学生に抜かされ,さらに稜線近くでは登頂して戻ってきた中学生に会いました。元気な連中でした。彼等は大沢岳に登ってきたんですね。立志登山だったのでしょうか。
 さて,我々は大沢岳を越えて,一路百間洞山の家へ。この辺は記憶が曖昧です。翌日早朝に出発して,8時に赤石岳に登頂しました。そして,赤石尾根を急降下して昼頃に椹島。ここから先も記憶がないのだけれど,あのきつい林道歩きをした覚えがないので,きっと誰かの車に乗せてもらったんだろうな。そうそう,遠山川沿いの林道にある墜道を歩いていたときに蹴飛ばした瓶が封を開けていないジョニ赤だったので,この山行の素晴らしい友になってくれました。もっとも,赤石尾根を下っているときに友達が転んで傷を負ったので,消毒にと半分ほど使ってしまいましたが...


 結婚して,新婚旅行が妙なところだったので,口直しに女房と北岳に登りました。これ以降,女房は山に登るのがいやになったようです。

北岳 肩の小屋間の岳をバックにH14年の北岳頂上

 しかし,ようやく女房も復活し,娘の小学校1年生入学記念家族登山に参加し,白馬岳に登ってきました。


 しかし,なんといってもホームグラウンドは丹沢です。特に塔ノ岳。表尾根が変化があって,良しとされますが,大倉尾根が私にとって最高です。先日,NHKの番組で「太陽に吠えろ」の殿下役で出演されていた小野寺さんがゲスト出演し,塔ノ岳を登っていらっしゃいましたが,懐かしかったですね。

 同時に,ますますの登山道の変化ぶりには驚きました。

何度登ったろう?!


 南アルプスは仙丈ケ岳がお気に入りです。次男が小学校入学の時,記念に長男を含めて3人で登りました。丁度台風に直撃されて,新装なった広河原小屋に足止めされました。昔の小屋が台風による増水で流された後にも行ったことがあるので,いい気持ちではなかったことを覚えています(布団の中で逃げ道を考えていた)。

この時,仙丈ケ岳は
ガスっていた
次の日,天気が良か
ったのでもう一度登った

 以前の広河原小屋。高校生の時,天体観測で泊まったのが最初でした。幕営することもしばしばでした。

 こんな岩魚も釣れてしまうので...最高 でも,台風による増水で小屋が流されたこともありました。その直後,仙流荘から歩いてここまで来たのですよ。元気だったね。

 結局,最近のを含めると,仙丈ヶ岳には4回登っています。それに対して,甲斐駒ヶ岳には1度しか登っていない。仙水峠からの登りがきついことがヤケに印象強くて逃げているんだろうと思います。いい山なんだけどね。その一回は確か台風のためにバスが通ってなくて,あのバス道を歩いたような気がするんだけど,間違いかな?


 ここは感じのいい幕営場ですね。一度だけ,ひどい雨にやり込められて,小屋に逃げたことがありましたっけ。味噌汁をいただいた覚えがありますよ。いい親父さんでした。

北沢峠の大平小屋北沢長英小屋と
幕営場


 夏の終わり近くだったので,千枚小屋は私一人。テントの方が良かった。この小屋も最近建て替えられたかな?

 この日は千枚小屋を出る頃から雨の匂いのする風が吹いていました。頂上へ着いて中岳方面の下りを見ると,ガスが吹き上がってきました。「雨だ」直感的に感じた私は,急いで下山。椹島に着いたとたん土砂降りの雨でした。

 今でこそ椹島までは東海フォレストの送り迎えがありますが(昔もあったんだろうな,時々見たから),昔は25kmの林道歩きでした。これがウンザリでしたね。でも,それが南アルプスだと思っていました。椹島には4回行ったのかな?

悪沢岳頂上
今はどんな様子かな?
H15年の小屋H15年の悪沢岳頂上


 冬山もやりたかったけど,単独行だったし子供も産まれたので止めてしまった。

金峰山の五丈岩金峰黒百合ヒュッテ


 アルバムの写真を,ビデオカメラで接写して取り込みました。こうなると,やっぱりフィルムスキャナーも必要ですね。


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